2020バリの旅備忘録③ 懐かしのホテルとクタの町

2020-02-11

1月の半ばに行ったバリ島への旅③です。

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夕刻にバリに到着した私たち、
送迎トラブルで疲れてしまい、
荷物の整理をして、早々に休みました。

到着が暗くなってからだったので、
朝、コテージからレストランに向かう道で、
懐かしのホテルの全景を見る。

30年前と、
敷地や建物の雰囲気が、
ほとんど変わってないことに気が付きました。

30年前と、時空が繋がってしまいます。

バイキングの朝食。

お米もパンも、バリ料理も西洋料理も。

とても豊かな気持ち。

私はパンケーキで。

とても気持ちがいい空の下に、席を取る。

この日は朝食後、
クタの町へ出る予定にしていました。

でも、
昨日のトラブルが後を引いて気が重い。

LINEで挨拶を済ませたガイドSさんにも、
メッセンジャーで到着をお知らせした智恵美さんにも、
「クタは危ないから、気を付けてね。東京で言えば〝新宿”みたいな感じよ」と、
アドバイスされていました。

・・私、新宿好きじゃないし。

もう、クタはいいから
ホテルのプールでまったりしたい気分。

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しかし夫は
ショッピングセンターでゴム草履を買う!

という、くだらない目的と、
行ってみたいワルン(町食堂)でお昼を食べたいと、予定を曲げない。

心の友を胸に、仕方なく出かけることに。

ホテルからの
シャトルバスを予約して、いざ、クタへ。

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シャトルバスが到着したビルには、
「SOGO(そごう)」マークが張り付き、2Fテラスにはスタバが入っている。

ひょー、、私の知っている
30年前のクタとは・・(以下同文なので略)
クタの町の広くはない道路は、車とバイクが隙間なくギッシリ。

人は、その間を縫うようにして道を渡る。

それでも、
歩いていればそこにもあそこにもお供えの花がある。

それは今も昔も変わらない。

バリ島の名前は
「神への捧げもの」を語源とする。

前にバリに来たときは、
空港を降りると、むせかえるような独特の匂いがあって、。

次の年来た時に、懐かしく思ったものだった。

その匂いが、今はほんの微かにしか、しない。

それが、
お供えの花が、土に還る匂いだと、気が付いたのは、帰る少し前。

今は、そのまま土に還さずに、始末してゴミとして捨てるのだそうだ。

衛生的ではあるのだろうが、
あの匂いこそが、
私のバリの記憶だったので、ほんの少し寂しく感じた。

ガイドSさんにその話をしたら、
年に数回のお祭りの時なら、
その匂いがすると思うよと教えてくれた。

それをまた、嗅いでみたいと思う。

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暑い中を歩いて、
夫念願のバリのスーパー!!へ到着。

いやこれさ、、西友でよくない?

・・と思いつつ、我慢がまん。

スナック菓子とゴム草履を買ってました。

次は、
夫希望のワルン(町の食堂)を目指す。

地図に書き込んできたけど、
なかなか見つからず、路地を右往左往。

自転車に乗る子どもを見て、
子どもたちが小さいころを想う。

ちょっと前の日本の風景。

自分が子どもの頃の、路地の日差しを思い出す。

ようやく見つけたね「ワルンニックマット」。

ガラスケースに並ぶおかずをごはんに盛り合わせてもらう。

「ナシチャンプル」を食すのだ。

店員の男性が
夫の注文を聞いてくれる。

私は、おばちゃんが盛ってくれる。

指さし確認で、好きなおかずをアピール。

さて、いただきます。

夫は、チキンとビーフと、野菜を2種。

私は、トウモロコシの天ぷら、
豆苗の炒め物とトーフ、ナッツの炒め物
(ピーナツ味噌みたいな)というベジ。

どれもこれも、美味しかった。

・・・ところで、
テーブル上の値段札を
見て欲しいのですが、
夫が6000ルピー(500円くらい。)
私が14000ルピー。(1200円くらい)
明らかにおかしい。

後でガイドSさんに聞いたところ、
やっぱり野菜より
お肉の方がお高いそうなので、
夫は現地値段にしてもらえたけど、
私は観光客値段になったということみたい。

美味しかったからいいけどね♬
目的を2つ果たしたので、
お土産物屋を冷かして
木製の調味料入れなど買い物をし、安心安全な涼しいスタバへ避難。

シャトルバス迎えの時間までは、海岸の方へも出てみました。

この景色を前に振り向くと、
SOGOが入るショッピングモール。

私が知るクタとは・・(以下略)。

ホテルのシャトルバスは、
迎え時間になっても
なかなか現れないし
(渋滞で15分くらい遅れ)、
待つ場所は発着所のため、
物売りやタクシーの声かけがうるさくて
落ち着かなかったのだけど、
特に危険なこともなく、ホテルへ戻れました。

ささ、プールに入ろう。

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